江戸東京たてもの園・店蔵型休憩棟
店蔵型休憩棟の設計について
江戸東京たてもの園の東ゾーン、下町中通り界隈は、商店建築をテーマに、昭和前期の下町の街並みを再現しようとしている。このため木造建築の集合としての規模が大きく、建築基準法上、防火のための面積区画が生じることになった。これに加え来園者が利用する休む所、食べる所、それにボランティア控えスペースが新規に必要なため、この双方の条件を満たす建築で、どんなデザインが良いか、というプロポーザル(競技設計)が行われた。私の案は、店蔵を復元した案で、これを選定いただき、平成8年9月に竣工した。
立案するにあたって、もっとも重要だと考えたのは屋外建築博物館の街並みである。隣に並ぶ竹居三省堂・花市生花店は、今では看板建築というカテゴリーを与えられ関東大震災後に生まれた昭和初期の建物だ。この隣接建物との関係が決め手になると考え、街並みを想定し看板建築に近い形でスケッチを始めた。しかしなかなか絞り込めない。決定案が出ないというより、ある案で決めようとすると、残りの案を否定する条件が無く、どれでも良いことになってしまう。一番危険に思ったのは、時代考証の無い架空の嘘の街並みを造ってしまう事であった。そこで次のような単純な前提を立て直した。
@昭和前期の街並みを構成する一建築であるから、その時代に多く存在していた建築様式をつこと。
Aこの建築の第一の存在理由である『防火建築』として、十分な機能を有すること。
ここまで決めると、方針は容易に決まった。
関東大震災以前、東京の商店建築といえば、そのほとんどが出し桁造りと呼ばれる木造建築であった。下町ゾーンにも小寺醤油店、仕立屋がある。このつくりは構えや材料がとても立派な建築のため、江戸時代からずっと商家の主流を成してきた。しかし、立派であっても木造に変りなく幾度もの火災を経て、土蔵の工法が付加される商家もあった。漆喰による防火的塗籠は、城郭建築においてよく知られるが、商家では瓦屋根が許されるようになって1720年ころから広まった。外壁から屋根まで全体に防火性能が高まった建築となり、これを店蔵と呼んでいる。そして、個としての防火性以上に、街づくりにもこの建築が積極的に取り入れられ更に広まった。
例えば東京では、1881年(明治14年)の大火の後、決められた道路に面する建物は延焼のしない耐火建築にしなければならないことになった。これによって改築が進み、日本橋界隈など、都心に近い商店街では、ほとんど店蔵が軒を連ねたといわれる。
余談であるが、防火帯を作るこの方法は、現在の都市計画にも受け継がれている。道路拡張は何も自動車のためにだけ行われているのではない。広い道に面した部分は帯状に防火地域に指定され、建蔽率や容積率も高く決められている。結果的に、ここに高層の防火建築が作られ大火災の時、この大きな一連の防火壁によって延焼を食い止めようという訳だ。
学校の建築法規で習った時、うまい方法だと感心したが、こんな遥か以前から行われていた。
店蔵が建ち並ぶ景観は、東京には無くなってしまったが、幸い川越では残っている。やはり数回の火災を経験していた川越に1893年(明治26年)、街を舐め尽くす大火が発生した。その時焼け残ったのが蔵造くりであった。この実績により、こぞって店蔵が建てられたといわれる。川越に現存している店蔵はこの後2〜3年の間に建築されたものが多い。川越では以上の理由で店蔵に変ったが、既に店蔵が多く、地震で破壊された関東大震災後の東京では、看板建築に変った。そして昭和初期の東京の商店街は、出桁造り、店蔵、そして看板建築などが入り混じって建っていた。
さて、こんな経歴を持った店蔵に着目して、プロポーザる案はまとまった。大変だったのは実施設計になってからである。施工をするために必要な細かい形や寸法を決めるのにとても手間取った。バブル時代を越えた平成のいま、さすがに身近に現役の店蔵は少なくなった。堂塔などメジャーな様式建築と違い、出版物として実測図などもほとんどなく、川越や上野、府中など実測のために何度も通った。
最後に現場施工時の話をしたい。この建物の特徴のひとつは外壁の仕上げだ。設計主旨からして、コンクリート打放しに吹付け塗装という訳にはいかないので、店蔵に伝統的に用いられてきた黒漆喰磨き仕上げを採用した。これはその時代の在来工法のうち、最も耐久力が高く、しかも贅沢な仕上げであった。恐らく資金力のあった商家では、ステータスとしても用いていたのだろう。漆喰仕上げであるから光沢材など塗っていないのだが、見上げれば空の明るさを反射するほどである。かっては多く用いられた材料・工法でも、今の時代、なかなか難しい。条件に恵まれなければ、バランスの取れた仕上がりにならない。今回は、左官職の名手を何人も揃えた親方に出会って実現した。最終工程の上塗りは乾燥する時間経過に合わせ、一つの仕上げ単位を鏝圧や押え回数など、息を合わせて同時進行させなければならない。でないとむらが目立ってしまう。仕上げ単位とは曲がり角や仕切り目路の無い一枚の壁面を指す。この休憩棟は軒側の間口が九間半もある。一人が鏝を引ける間隔で、この九間半いっぱいに並び作業をする。そしてそれぞれがその小さな範囲を二時間から三時間もの間、何回も何回も鏝で押さえると光沢が出てくる。それゆえ、全員があるレベル以上の技能を持ち息の合った集団でなければできない業なのだ。お立ち寄りの際は、そのあたりの手作りの感じもご覧いただきたい。
【コメント:建築設計資料74号より転載】
作品4/店蔵型休憩棟
鈴木啓二/建築設計社のホームページ
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