鈴木啓二/建築設計社のホームページ
入家住宅の地域的特性 民家の観かた0 日本各地の民家の形

C.長野・本棟造り

B.富山・合掌造り

A.山形・曲り家

D.滋賀・前土間型平入り


D.滋賀・前土間型
妻入り

日本各地方の民家型
ここに挙げた民家型は、意匠、平面の形式がそれぞれ異なる。基本的には、各地の風土に対する居住性と農業生産様式として形成された。材料は同じでも、身近の形しか知らない人には、驚くほど変わった形である。くど造りから発展したと言われる漏斗型 (くど造りの棟がコ型であるのに対し、ロ型に繋がっている) に至っては理解を越える形態である。

E.長崎・くど造り

F.神奈川・寄棟広間型
A.曲がり家:中門造りと共に棟がL型に曲った家は、雪深い日本海側の秋田・岩手・山形・新潟・福島・群馬に多く分布する。馬飼育の為に発展したと言われ、南側に馬屋が突出している場合が多い。
B.合掌造り:この地方では特に村役の家柄でなくても大型の住居である。厳しい自然条件の中で開墾が進まず分家も出来なかった為の大世帯の住居であったことと、養蚕のために形成されたといわれる。
C.本棟造り:信州の代表的民家形態で上層農民の民家に多かった。ゆったりした屋根勾配で板葺きの妻入りになっている。大戸口と並んで玄関がある。
D.前土間型:琵琶湖の湖北から湖東にかけて多く分布する。妻入りと平入りがあり、戸口に平行して土間が延びているのが特徴である。
E.くど造り:九州の変わった形態には、屋根が二つに分かれた二棟造り(分棟型あるいは併列型)が多いが、くど造りはそれをU型に繋いだ形である。正面は寄棟のように見えるが、裏側は複雑な形態で、それを裏側も繋いだ漏斗型は瓦を樋状に設置して、壁面から突出し雨水を排水する。
F.寄棟広間型:同地域であり、宮の入住宅と平面変遷過程は同じである。同系の発展型が狭山周辺にも存在する。
■必読■
地方色を作り出した二つの側面:上図は各地の特徴ある民家形態である。東京在住の人が見る民家型は、殆どが“F型”か“宮の入型”であるので、日本中の民家がその形で出来ていると考えるかもしれない。他の地域でも自然環境が厳しくない所では、同型の存在が認められるが、多くの場合、地方の居住性や農業生産様式によって、これだけ多様な形態を展開しているのだ。民家研究は、このような形を形成してきた理由について、長い間、風土性によってのみ説明してきた。恐らく、江戸時代以前は、風土性で推移したであろう。しかし、最近は人為的な影響の大きさについての研究も進んでいる。日本中の民家を網羅的に見ると、同じ平面構成や形態が自然条件に係わりなく、まったく離れた場所に存在している事が分かる。かつて研究でも、その事実のコメントはされては来たが、纏めた形の研究は無かった。そこで、平成になって発表された大岡敏明氏の『藩政と民家』(相模書房)という研究では『江戸時代に定着した民家の構成は、藩という閉鎖された領域の中で、人的、文化的な条件により、強く規定された』と実証的に解明している。“何の自然条件も変わらない軽微な藩境いによって明らかに型が変わっている事。また、自然条件が大きく異なる離れた地域に、同じ型が存在する事。”など、非常に多くの現地調査による。同時に、武家住宅から民家への影響についても踏込んで調査していて、大名が外様か譜代かによる違い、転封によ禄高減少で、家臣に配分する石数が足りなくなり、多数の士分を村々に土着させた場合の武家住宅の影響など、新しい視点で検証している。
確かに、江戸幕府は幕令で全国に向けて家作規制をしている。しかし各藩は自藩の実情に合わせて公布しているため、構造規模や意匠について、必ずしも同じ内容で家作規制されていない。農業生産性を高めようと必死に統治していた各藩にとって、農業生産に結びつく規制は、藩によっては違いがあって不思議は無い。民家の地方的特色を見る場合は、このあたりの複雑な事情も考慮し鑑賞して欲しい。建築形態に影響する人為的な規制は世界的に存在したものであろう。日本の場合でも江戸時代から始まったのではない。3間梁の規制について言えば、その源流は遠く、大陸の支配層から日本の支配層に伝わり、それが江戸時代の支配層にも厳格に組込まれ、ピラミットの底辺として民家の規制が敷かれたと考えられている。
ともあれ、特徴ある形態は風土性から発していることは確かで、それを読み解く事は民家鑑賞の一つの楽しみである。
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