鈴木啓二/建築設計社のホームページ
入家住宅の地域的特性 民家の観かた4:材料と建替え
この地方の民家は驚くほど多くの竹材が使われている。この写真は建築中の里山民家であるが、家中が竹に囲まれている。
3.材料と建替え
江戸時代、農民の家の材料はどのように調達したのであろうか。今のように材料屋さんに頼めば手に入るという訳ではない。頼もうとしてもお店やさんもなかったし、お金だって無かった。このため入手や工事は自分たちで賄わなければならず、使用する材料は全てが、運搬容易な自家製、或は地場産であることが原則であった。
茅材:屋根材は全国的に見ると、草葺、瓦葺、板葺、石葺などがあるが、この地域の主屋は、みな草葺きであった。草葺の中でも寿命の長い茅葺がこの近辺でも主流であったが、茅材が入手しづらい所では、ワラぶきであったり、また、茅とワラを併用することもあった。宮の入民家ではこの地区の例に習って茅葺きにしている。“茅葺き”という呼称には二種類あって、ここで使っているのは一般にいうススキで、陸地に生えているのでヤマガヤという。もう一つはウミガヤといって、川や湿地に育成しているヨシのことである。それぞれ一長一短があるが、見分け方は茎の断面に白い芯が入っているのがススキ、中空になっているのがヨシで、中空になっている分、ヨシのほうが水切れがよく長持ちするといわれている。
木材:上の図をみてみよう。これは今から80年前に、この敷地の近くを描いた今先生のスケッチで、近景と遠景の2カットがある。一屋敷を描いている近景をよく見ると屋敷林の樹種が記入されている。それらの木は実に里山民家に使っているものと同じ樹種で、建築に使う材料を屋敷内で育成している姿を描いている。一番大きな木はけやきで、その後ろの縦長に何本も描いているのは杉である。そして杉の木の前に沢山あるのが竹林だ。自分の家の庭で自宅の普請に使う材料を育てているのである。そして家の建替えは、この一番大きなケヤキが、大黒柱や差鴨居として使える150年から200年成長したところで行われたと言われている。(ただ屋敷林全部を切り倒して家を作ることは考えられないので<改築後も防風林が機能しているはずという意味>、徐々にストックして、ほぼ一棟分が貯まったところで建替えたのであろう)そうしたやり方が、特別な家でだけで行われていたのではない事が遠景(下段)で見るとわかる。同様の屋敷林を持った家が、村落中に広がっている。昔の民家では使う材料を可能な限り自分で育成していた。旧宮鍋家住宅の解体調査によると最も太かった木は土間・座敷境の3間物、差し鴨居で、100〜120年くらいの欅だったようである。家の建て替えは大体それより長いから、防風林として植えている屋敷林から取ったと考えられる。また屋敷林には無い梁材の松、床廻りの栗やくぬぎは裏山の共有林から手に入れたのであろう。木材のほとんどは手近の材料で出来ているのである。

このように何世代もかかって、大変な思いで作られた民家は、大切に使われ寿命も長い。関西には千年家と呼ばれて、14世紀頃に作られたであろう民家が現存している。また、建替えたり、没落して要らなくなった家は、多くが引き取られ再利用もされた。今日の日本には、日本の木の文化を安易に解釈し『家も消耗品として使い捨て』そういうような風潮がある。ところが実際にはそうではなく、一つの家が大切に長期間に渡って使われていたのだ。神奈川県足柄地方を昭和45年におこなった調査では、判った分だけでも186件中26件が別の屋敷から移築され再利用している。そして、それらの殆どの家は移築後、既に百年は経っている家が多く、どうも、作っては壊し壊しては作るという日本家屋のイメージとは程遠い。木造の社寺を数百年から千年も使っている事はよく知られているが、実は民家だって数百年の単位で使われていたのである。
最も、幕令で民家新築禁止の規制を出しており、理由がなく新築をすることが出来なかった。このことも、民家構造を頑強にすることに役立ったのかもしれない。
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